違う文化圏の言語なのに、同じ諺になるのかを調べてみた
“Mother” tongueが『母』国語って不思議じゃない?

今日オンライン英会話をしていて、イギリスの先生が「The grass is greener.」って言ってきた。
(あぁそういえばそんな諺あったな。)と思いながら、高校時代から感じていた疑問について語っていこうと思うぞ。それは、何なのかというと、
昔から疑問だった、『隣の芝生は青い』という諺が”The grass is greener.”なのかについて。
これってめちゃくちゃ不思議だと思いませんか?
私、高校時代にこの諺を聞いた時に、「どうして違う国で文化交流もなかったくせに同じ単語を使って同じ意味の諺ができるわけ??奇跡の一致??」
とかって思ってました。そして、こんな妄想をしたりしてました。
1853年くらいの浦賀(神奈川県)
日本人の侍「隣の芝生は青い。」
ペリー「The grass is greener.」
日本人の侍「イズ…グラス…芝生…?」
ペリー「Yes!」
日本人の侍「おぉぉぉぉぉ!!!同じや…。」
同じすぎる。同じ過ぎませんか?同じ意味合いの諺が違う国でできたとしてもそれを説明する単語や状況まで同じってやば過ぎでしょ…?
偶然の一致だとしたら驚愕ですよね。TOEICで勘で全部塗ってみたら990点になったくらいの偶然だと思うんですよ。(いやそれ以上)
だって、アメリカでは、「It is no use crying over spilt milk.」って言われていて、日本では(元々は中国)「覆水盆に帰らず。」って言われてて、実際ペリーと日本人の侍が出会って、
日本人の侍「あぁ〜。それ、うちでは『覆水盆に返らず。』って言うねん。」
ていうのが自然でしょ。なのに、偶然の一致っぽい単語や言い回しって結構ありませんか?
(私、あほですかね笑?)
mother tongueって母国語でしょ…?もうこれ驚愕ですよ。はっきり言って。
初めて単語帳を開いて、mother tongueの意味が母国語だって知った時は、偉大なる母は地球レベルでのコモンセンスなのかと慄きましたよね。
『kill two birds with one stone.』とかね。これで一石二鳥ですよ。
奈良時代とかに、ある少年が石を投げたら二羽の鶏の頭に当たって、そこにいた友人が「お前それ、一石で二鳥を得たんかよ!!一石二鳥やな!」とかってなって、
同じくらいの時期にイギリスでも、ある少年が…(以下略)
で、ペリーが来航して…
「え?まじで!?日本でもそれって(以下略)」
みたいなね。
表現の一致は奇跡的な偶然の一致だったのか?

結論から言うと、残念ながらそんなロマンのある話ではないそうですね。(私の高校時代を返せ)
一石二鳥は17世紀のイギリスでできたことわざの『kill two birds with one stone.』を直訳したものだそうです。
隣の芝生が青いも同様だそうで。
『It is no use crying over spilt milk.』と『覆水盆に返らず』の場合はルーツは異なりますね。もちろん。だから、使われる言葉も違う。
覆水盆に返らずのルーツは『周』という中国の国(一応、『殷』が歴代最初なはずなので、『殷』が滅んだ後の国。キングダムの春秋戦国時代の前の時代です。劉備とかの三国志よりもっともっと昔の話。)での出来事の話。
掻い摘んで話をすると、公務員試験の勉強ばっかりして働かない夫に愛想を尽かした妻が離縁して、その後、夫が国家公務員第1種に合格。そして官僚になって立身出世。
妻「もう一回やり直しておくれ。」
夫 (コップに入った水をこぼしながら)「これコップに戻してみいな。」
という話。
同じように使ってる諺でも古さは全然違うんですね。
- 紀元前700~800年くらいにできた諺:覆水盆に返らず
- 紀元前200~300年くらいにできた諺:四面楚歌(『楚』の国の『楚』)
- 1600年くらいにできた諺:一石二鳥
言葉も日に日に変わるということですね。マジ卍です。
コメントを残す