神戸東須磨小の教師間いじめ問題について人間には二種類いるという話

省みる人間と刹那的に生きる人間

事件の概要

事件の詳細については報道に出ている通りです。

事件の概要は,神戸東須磨小の教師がある教師に対して様々ないじめをするというものでした。あまりに卑劣な行為で文章化する気も起きません。

『いじめ』という言葉自体がもう軽い言葉になりすぎていてきちんとこういう行為は立件して,示談金などの手続きや法的処置を取るべきなんじゃないかと個人的には思いますが。

今回の事件で衝撃的だったのは教師間でのいじめ問題だということですね。

教師という職業が聖職からビジネスになった

昭和の頃の教師って,なりたくてなった教師が多かったと思うんですよね。本当に心から教師を目指していて,子供が好きで,指導したいと思っている教師が多かった時代なのかなあと想像します。

だから,教師の待遇って昔は破格でしたよね。私の祖母は大学を出て教師をしていましたが,当時の話を聞いていると本当に破格の待遇だったんだなあと感じさせられます。

それもあっていい人材が集まった。

一方で,現代における教師はビジネス教師が多いんじゃないかなと。

つまり,仕事の中で消去法であったり,他の職業に就きたいと思っていたが,何となく受かった教師になったというパターンですね。

そして,ブラック職種であることも露呈されて,部活動の時間は無給であるとか,モンスターペアレンツなどのたくさんの問題の中,それほど高給ではない状況でたくさんのことをさせられる。

そんな中で教師を憧れる学生は少なくなり,少ない中から選んだ教師というものの質の低下が起きているんじゃないかなと。

もちろん,本気で目指して誇りをもって教師をされている方もたくさんいらっしゃると思いますし,実際,私も教育業界にいるので,

たくさんの高校の先生とお話する機会や友人が教師をしているということもあるので,素晴らしい教師もたくさんいらっしゃることも事実だとは思いますが。

職業が人(人格)を作るわけではない

今回の事件の大事な部分は,『「教師間」のいじめ』という部分です。

あなたはどうでしょうか。「教師なのにいじめを起こした」と考えますか?

よくこういう意見を聞きますが,本当にそうでしょうか。

私は、職業が人(人格)を作るとは私は思っておりません。

あくまでそういう人間が教師になっただけなのではないかと思います。

教師という職業をしているのにいじめを起こしたというのは無理があるんじゃないかなと。

仕事を通じてある程度学んだりする部分はあるにせよ,根本的にその人であり,仮に異なる職業を選んでいたとしても同様の感覚を身につけていくのではと思うのです。

良い意味でも悪い意味でも。

つまり,教師を選択してなくてもこの人は誰かをいじめていただろうし,何かで粘り強く学び,大成する人は仮に違う職業を選んでいてもそれなりの成果を出すのではないかと思うのです。

結局は,人と仕事は本来無関係なものであるというのが私の考えです。

世の中には省みる人間と刹那的に生きる人間がいる

この事件を通して,また,色々な日常生活の中で感じることがあります。それは,世の中には2パターンの人間がいるということです。

  • 自分の行動や結果を省みる人間
  • その瞬間の感情のみで生きる人間

前者は反省して学びます。幼少の頃は悪いことをしていたかもしれません。それこそいじめをしていたかもしれませんし,万引きをしたかもしれません。

ですが,その行動を自分なりに省みて『苦い気持ち』になれるかどうか

だと思うのです。そして,その自分の起こした行動に対して『苦い気持ち』に慣れる人間は,二度としないでおこうと学ぶようになります。

もちろん大人になって擦れていき要領良く,時にズルく生きる部分も出てくるでしょうが,根本的にそういう人間は学んでいき,感じることができるようになるのではないかと思うんです。思考が更新される人間です。

一方で,その瞬間の感情のみで生きる人間がいます。

こういう人間は学ばないのです。だから,幼少の頃に誰かをいじめていたように全く同じように大人になってもしてしまうんですね。そして,この事件の加害者は一生学びません。直らないでしょう。直らないというか治らないという感じですが。思考が更新されない人間です。

なぜなら,改心するには生き過ぎたんじゃないかと思うんですよね。例えば,20歳の人が改心したときに本当に脳みそから切り替えられるようになるまでにかかる時間って3年ないし5年と,かかるんですよ。

やっぱり,20年正しいと思っていた思想みたいなものを行動だけでなく,脳みそから転換するのにはそう単純じゃないんだと思います。

『今までそのように考えてきた自分』を全否定して,『新たな自分』をリスタートさせるためには,心を素直にしないといけません。

もう40年ほど生きてきた加害者が思想を変えるのはかなり不可能に近いのではと感じてしまうのです。

本当に改心するということは,今までの所業に対して本気で対峙しないといけませんから。そして,こういう人間は対峙する心や気力を持っていません。

人間は学び続けるべきなんだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ニシジマ

ゆとり世代ど真ん中に爆誕。円周率は3だと信じて疑わない。大学卒業後,予備校で勤務しており,化学を担当。主な業務は,模擬試験作成と入試解説の執筆。大学時代の専攻は物理化学であるが,難解すぎて意味があまりわからない。